こんにちは、みさきです。
今日は家の近くで不発弾処理がありました。
関連記事「【悲報】自宅から徒歩圏内で不発弾が見つかったので避難することになったんだけど」
もくじ
今回見つかった不発弾について
この不発弾は第二次世界大戦中の日本軍の20センチ砲弾とのこと。
この砲弾は特殊な加工がされているらしく、信管が外せないので解体処理ができず、現場で爆破処理することになりました。
まさか家の近くで不発弾を爆破させるなんて・・・
那覇では現場での爆破処理は3例目なんだとか。
私は朝から避難場所である近所の中学校に行ったんですけど
わぁ、誰もいない(笑)
この後10:10くらいまで近所の中学校の体育館にいたんですが、それまでに避難しに来た人は8人くらいでした
日曜日だし、近所の人はこの機会にお出かけでもしてるんでしょうかね(笑)
この体育館には「製氷機」がありました。
沖縄の夏は暑くなるからなのかな
時間をつぶすために航空自衛隊那覇基地に行った
この日は那覇の駐屯地で航空祭があったので、私はそっちのイベントに行く事にしました。
中学校の体育館で避難しててもなんもなくてつまらないので(笑)
不発弾処理の現場
これは不発弾処理の数日前に撮影したものです
現場で不発弾を爆破させるからなのか、大きい土嚢がたくさん積み上げられてますね。
処理は17時5分頃までかかったようです
予定では16時に終わるはずだったんですが、1時間5分くらい伸びたみたいです。
今回の不発弾はニュース記事もありますのでチラッと引用します
那覇市宇栄原3丁目の民家敷地内で見つかった旧日本軍製20センチ砲弾1発の不発弾の現地爆破処理が9日あり、陸上自衛隊第101不発弾処理隊が午後3時3分に爆破処理した。処理時は現場から400メートルほど離れた市小禄支所の現地対策本部でも「ドンッ」と低い爆発音が聞こえた。那覇市内での現地爆破処理は6年ぶり3例目。住民たちは交通規制が始まる午前10時前から作業が終わった午後5時5分まで約7時間にわたって避難した。
(中略)
不発弾は直径約20センチ、長さ約56センチ、重さ約50キロ。信管取り外しができない砲弾のため、発見現場から約10メートル離れた処理壕(直径3メートル、深さ5・5メートル)に運び入れられ、衝撃や破片の飛散防止で砂や1トン土のう48個を上に積み重ねて爆破された。
周辺の建物などで人影が見つかる度に関係者による避難誘導が行われ、その間、処理作業は計5回のべ1時間ほど中断した。爆破後も、不発弾を完全に爆破できたかを掘り返して調べるなど作業は7時間にわたった。
第2次世界大戦の爪痕が未だに残ってると実感した
第二次世界大戦が終わったのは1945年(昭和20年)8月15日です。
今から73年前ですね。
私にとってはものすごく昔に感じるけど、現在75歳の人にとっては自分が2〜3歳の時です。
私が通ってる三線教室の先生はずっと那覇に住んでるし、不発弾が見つかった場所の近くで75年間生活してます
そう考えたら、三線の先生が2〜3歳だった頃には不発弾が見つかった場所には砲弾があって、日本軍とアメリカ軍が戦っていたんだなぁと感じた。
ちなみに三線教室には83歳のおばあちゃんも在籍してるんだけど、そのおばあちゃんが10歳頃の沖縄は空爆や地上戦、艦砲射撃が実際に起きていたんだなぁと
そう思うとすごい時代を生き延びた人なんだと、改めて感じました。
そのおばあちゃんは戦時中の話をたまに聞くんだけど、艦砲射撃で夜中なのに昼間のように明るかったとか、家族で沖縄の北部(やんばる)に避難したことなどを話してくれました。
沖縄占領時に、親戚のおじさんが射殺される現場を見てしまったことなどもチラッと聞きました
(うちなーぐちなので完全には聞き取れなかったけど)
私が10歳の時、世の中では世界初のクローン羊が生まれてニュースになったり、ダイアナ妃が交通事故で亡くなったり、ナゴヤドームが完成したり、消費税が3%から5%に増税されてりしました。
ポケモンのアニメもこの頃放送されて、学校ではポケモンブームに火がついてたなぁ。
同級生はイマクニ?の「ポケモンいえるかな?」を休み時間に熱唱してました。
そんな激動の時代だった。
おばーちゃんの話に戻るけど、おばーちゃんの10歳は沖縄空爆、占領、艦砲射撃と終戦。
激動すぎる時代だったんだなぁ。
今回はそんなことを考えさせられた出来事でした。