スザンヌみさきです。
日露戦争後の北海道を舞台にしたマンガ「ゴールデンカムイ」に相変わらずハマってます(笑)
ゴールデンカムイを読んでると「日露戦争ってどんなもの?」という疑問が湧いてきたので自分なりに調べてみました。
日露戦争の流れをザッと書くと…
(1)ロシアが南下政策を続けて満州あたりまで勢力を伸ばしてくる
↓
(2)ロシアが朝鮮半島まで進出してきそうになる
↓
(3)朝鮮半島までロシアに攻められたらヤバイだろうと日本が焦る
↓
(4)日本がロシアに南下はやめようよ、朝鮮半島まで来るのダメだよと交渉する
↓
(5)しかしロシアが南下を止めないので日本は焦る
↓
(6)ロシアが朝鮮半島を攻める前に日本がロシアを奇襲する(旅順)
↓
(7)奇襲のタイミングで日本がロシアに宣戦布告、日露戦争が始まる
YouTubeにすごくわかりやすい動画があったので載せておきます
↑これは前編
↑これが後編
もくじ
日露戦争の経過
日露戦争の開戦から終戦までの流れはこんな感じ
(1)旅順口攻撃
↓
(2)仁川(インチョン)沖開戦
↓
(3)旅順港閉塞作戦
↓
(4)鴨緑江(ヤールージャン)会戦
↓
(5)南山の戦い
↓
(6)得利寺の戦い
↓
(7)黄海海戦
↓
(8)蔚山(うるさん)沖会戦
↓
(9)宗谷沖会戦(コルサコフ沖会戦)
↓
(10)旅順攻囲戦
↓
(11)摩天嶺の戦い
↓
(12)大石橋の戦い
↓
(13)析木城(せっきじょう)の戦い
↓
(14)遼陽(リャオヤン)会戦
↓
(15)203高地の戦い、旅順攻囲戦終わる
↓
(16)沙河(シャヘ)会戦
↓
(17)黒溝台会戦
↓
(18)奉天(フォンティエン)会戦
↓
(19)日本海海戦
↓
(20)樺太の戦い
↓
(21)終戦(ポーツマス条約)
ゴールデンカムイの主人公「杉元佐一」が戦ったのは「旅順攻囲戦」でした
この戦いは日露戦争の中でも一番の激戦区で、日本側は約1万5400名が戦死しました。
ロシア側も約1万6000名もの戦死者を出した当時では最悪の戦闘だったようです。
旅順攻囲戦が多くの戦死者を出した理由
こちらの動画がわかりやすかったので貼っておきます。
完結にまとめると、日露戦争の旅順攻囲戦では「機関銃」と「塹壕」によってガチガチに要塞化されていたのが多くの死者を出した原因ではないか?
という内容です。
動画を見ていたら
という疑問が湧いたんだけど、当時は1904年8月〜1905年1月の戦いでした。
ライト兄弟のライトフライヤー号が初飛行したのが1903年12月17日だったので、まだ戦争に飛行機は使われていなかったようです。
戦争に飛行機が使われるようになったのは第一次世界大戦からだったので、日露戦争の時代は
「制空権」や「空爆」という概念がそもそもなかった時代だったようです。
第一師団とは?
大日本帝国陸軍の師団の一つ。
ゴールデンカムイでは主人公の杉元佐一が所属していた師団。
関連「【謎】ゴールデンカムイの杉本佐一が民間人でありながらライフルを所持できる理由とは?」
第一師団の所在地は東京。
ちなみに旅順攻囲戦に参加したのは「第一師団」「第九師団」「第十一師団」の3師団でした
第七師団とは?
こちらも大日本帝国陸軍の師団の1つ。
所在地は北海道の札幌と旭川。
ゴールデンカムイの作品中では「道民は畏敬の念を込めて『北鎮部隊』と呼ぶ」と書いてあったけど、所在地が北海道だからでしょうか。
第7師団の旅順戦参加は11月から
ゴールデンカムイに登場する「尾形百之助」が所属していた第7師団が旅順に到着したのは1904年11月21日だったようです
関連「ゴールデンカムイ 尾形百之助の銃の撃ち方がカッコいい。構え方の名称は?」
その第7師団が203高地への戦いに参加したのが11月29日から。
ゴールデンカムイ5話(1巻に収録)で尾形百之助が杉元佐一に「そうか!では二○三高地あたりで会っていたかもしれんな」と話したのはこういう背景があったんですね。
日本が樺太を占領したのは戦争を終わらせるためだった
日露戦争の主な戦場は朝鮮半島と満州だったんだけど、日本はなぜ樺太を攻めたのか?
それはロシアとの戦争を終わらせるためだった。
当時の日本は戦争で多くのお金を使いすぎていてもう戦争をするお金がほとんど残ってなかった
なので、休戦したかったんだけど、アメリカ合衆国の大統領セオドア・ルーズベルトからの助言で
「話を有利に進めるためロシアを少しでも占領したほうがいい」とアドバイスを受けて樺太(サハリン)を占領したらしい(YouTube調べ)
日露戦争は外国にとっての投資対象だった
私が日露戦争を調べてみて一番衝撃的だったのが「お金」のこと。
Wikipediaの文面をちょいと引用
戦争遂行には膨大な物資の輸入が不可欠であり、日本銀行副総裁高橋是清は日本の勝算を低く見積もる当時の国際世論の下で外貨調達に非常に苦心した。当時、政府の戦費見積もりは4億5千万円であった。
日清戦争の経験で戦費の1/3が海外に流失したので、今回は1億5千万円の外貨調達が必要であった。この時点で日銀の保有正貨は5千2百万円であり、約1億円を外貨で調達しなければならなかった。外国公債の募集には担保として関税収入を当てることとし、発行額1億円、期間10年据え置きで最長45年、金利5%以下との条件で、高橋是清(外債発行団主席)は桂総理・曾禰蔵相から委任状と命令書を受け取った。開戦とともに日本の既発の外債は暴落しており、初回に計画された1000万ポンドの外債発行もまったく引き受け手が現れない状況であった。これは、当時の世界中の投資家が、日本が敗北して資金が回収できないと判断したためである。とくにフランス系の投資家はロシアとの同盟(露仏同盟)の手前もあり当初は非常に冷淡であった。またドイツ系の銀行団も慎重であった。
是清は4月にイギリスで、額面100ポンドに対して発行価格を93.5ポンドまで値下げし、日本の関税収入を抵当とする好条件で、イギリスの銀行家たちと1ヶ月以上交渉の末、ようやくロンドンでの500万ポンドの外債発行の成算を得た。当時の香港上海銀行ロンドン支店長はのちのイギリス首相デーヴィッド・キャメロンの高祖父であり、高橋が戦費調達のためイギリスを訪れた際には、この支店長から助力を得たというエピソードがある[16]。またロンドンに滞在中であり、帝政ロシアを敵視するアメリカのドイツ系ユダヤ人銀行家ジェイコブ・シフの知遇を得、ニューヨークの金融街から残額500万ポンドの外債引き受けおよび追加融資を獲得した[17]。
第1回は1904年5月2日に仮調印にこぎつけた。結果当初の調達金利を上回る6%での調達(割引発行なので実質金利は7年償還で約7%)となったが、応募状況はロンドンが大盛況で募集額の約26倍、ニューヨークで3倍となり大成功の発行となった。1904年5月に鴨緑江会戦でロシアを圧倒して日本が勝利すると国際市場で日本外債は安定し、第2回の1904年11月の6.0%(償還7年で実質約7.4%)を底として、1905年3月の第3回ではドイツ系の銀行団(M・M・ヴァールブルク&COなど[18])も参加し、4.5%での借り換え調達[注釈 4]に成功した。この3月および続く7月の募集でパンミュア・ゴードンが引受に参加している。11月の第5回には公開市場で募集、利率を4%に下げ、無担保で消化できた。このときから是清はロスチャイルドへ根回しをしていた。好条件はベアリング家の貢献もあった[19]。
まず用語の説明から。
「外債」とは外国公債のこと。
カンタンに言うと借金です。
日露戦争にかかるお金を見積もってみたら、「あと1億円足りないよねぇ」と思った日本政府は足りないお金を外国から借りることにした。
内容はこうです
金利は5%以下で、10年間返済しなくてもいい条件で。
最長45年は返済を待ってくれる相手を探すべし!
そして、いざ外国公債を募集してみたら…
各国の反応は当初微妙だった。
そもそも日露戦争が始まった時点で日本の外国公債は暴落していていたらしい。
今の感覚でいうと、企業がなにか問題を起こして株価が暴落する感じににているのかも。
それに日露戦争が始まるまでは大国のロシアに日本が勝てるわけないだろうという風潮があったようだ。
だから日本の外債が暴落していたんだと思う
その後、日本はイギリスの投資家に1ヶ月以上交渉して、やっとこさ500万ポンドの外債を得ることができます。
しかし、予定では金利を5%以下に抑たかったのだが、さすがに世の中そんなに甘くなくて金利は6%(実質7年で7%)での調達になりました。
(返済総額は535万ポンド)
当時の日本はそうやって外国からお金を借りて日露戦争をなんとか戦ったのです
戦争別戦費-帝国書院 より引用
ネットでは日露戦争の借金を完済したのは82年後の昭和61年(1986年)という記載が多かったが、情報源が出処不明だったので本当かどうかはわかりません。
だれかデータソースください(涙)
戦争は金儲けイベントなのか?
戦争には多くのお金がかかります。
戦争で使う兵器、燃料、人件費、食料、服、その他諸々。
とにかく金がかかるのは間違いない。
人の生死だけじゃなくて、国家の存亡がかかっているので国は本気でお金を使うと思う。
お金が足りなくても負けるわけにはいかないので、借金してでも戦う。
それが日露戦争だった。
「戦争」だから何かイメージわかないけど、本気で事業を立ち上げたいベンチャー企業だっただらどうだろうか。
人生をかけて成し遂げたいビジネスがある。
その願いを叶えるにはお金が必要なんだ!
ってことでお金を貸す(出資)投資家はいるわけです。
そう考えると戦争ってのは投資対象だったのかもしれない。
第2次世界大戦後も、そして現在も戦争は世界中で起きているけど、お金儲けに利用されているのかもしれないですね。
戦争をする当事者は儲けないけど、出資した投資家は自分の手を汚さずお金を稼ぐことができる。
今まで戦争は国と国との利益を巡って戦うのだと思っていたけど、本当に儲かるのは出資した投資家なんだなって感じた。
第2次世界大戦が終わってからアメリカは世界中と戦争してるけど…もしかして、アメリカを利用して儲けている投資家が裏にいるのかもしれませんね。
Wikipediaの情報を読むだけでも、そういう世界の裏側が見えてきました。
日露戦争まとめ
日露戦争は1904~1905年に起きた、ロシアと日本との戦争。
戦争で塹壕や機関銃が使われ始めた最初の戦争だったかもしれない。
航空機はまだ戦争に使われていなかった
日露戦争の主な戦場は朝鮮半島と中国の大連〜旅順、そしてロシアの樺太(サハリン)
日本は莫大な戦費を獲得するために外国からお金を借りた(外債)
日露戦争が終わったのは1905年10月
ポーツマス条約により、日本は樺太の南半分と関東州の租借権を獲得する
※ロシアからの賠償金は取れなかった
日本国内では「なんで賠償金取らないんだ!」って暴動が起きるくらいの騒ぎになったんだけど、お金がなくて、もう戦えないことがロシアにバレるとやばかったので、国民にはお金がないから仕方なく条約を受け入れたことを隠していたそうです
Wikipedia読むの面白かった。
おわり
最後まで読んでいただきありがとうございます。
LINE@もやってるので登録はお気軽に
この記事が面白かったらSNS拡散もよろしくです